高岡は、1609年(慶長14年)、加賀藩二代藩主前田利長公が高岡城を築き開いたまちです。利長公は新しいまちづくりのため、さまざまな産業振興を図りました。
これが、高岡のものづくりの始まりです。
高岡鋳物発祥の地である金屋町は、利長公が招いた鋳物師たちが土地を与えられたことに始まるまちです。鋳物技術は、後に飛躍的に向上し、高岡銅器へと発展します。その技術の素晴らしさは、明治時代、万国博覧会に出品され、絶賛されたという歴史が物語ります。美術工芸品から梵鐘のような大型鋳造品、モニュメントに至るまで、高岡銅器は全国各地に納められています。
高岡漆器もまた開町より始まったとされ、江戸中期に堆朱、堆黒など漆彫りの技法が見られるようになります。勇助塗など独自の技法も生み出し、明治時代には彫刻塗の人気商品も発案されました。
利長公はまた、開町にあたり豊臣秀吉ゆかりの山車を町民に与え、城下を曳き回らせました。これが、重要有形無形民俗文化財「高岡御車山祭」です。江戸中期、後期には、高岡銅器、高岡漆器に数々の名工が現れ、その技の素晴らしさは、御車山の金工・漆工に今も残されています。